ホトカミをつくるDO THE SAMURAIのブログ

みんなでつくる神社・お寺の投稿サイト「ホトカミ」を運営している、株式会社DO THE SAMURAIのブログです。

神社お寺がファッションになる日

こんにちは。
コンテンポラリーアート担当の佐藤です。

つい先日、早稲田にある起雲山大龍寺にホトカミのメンバーと坐禅を組みに行ってきました。

浅はかではありますが、正直とても良かった。また行きたいと思いました。

目まぐるしく移り変わるたくさんの情報に取り囲まれた生活の中では、坐禅に代表されるような神道仏道*1の伝統的仕来り、つまり現代的な情報密度と時間感覚から引き離してくれる体験というのは、相対的に極めて印象的で価値のあるものになります。そしてそれは多くの人にとって、心地よいと感じるものだろうと思います。

というようなことをKevinも言っている。

To me, Zazen is an unforgettable experience of pressing a brief pause of the fast-moving life, looking back on all the roads walked, and, rather than blindly aiming for the future, understanding where I am standing right now.

Zazen - A Brief Pause to the Fast-moving Life - DO THE SAMURAI BLOG

年に数回足を運ぶだけだった神社お寺、あるいはその思想の実践が、日本人の日常生活の場に再流入したとき、時間と空間は奥行きを増し、今よりずっと穏やかになって、もう少し落ち着いて物事を考えられるかもしれない、ほかの誰かに優しくできるかもしれない、と思うのです。

そしてそれは自然と共に生きる共同体の保守存続にとって重要なことです*2

* * * 

では、どうしたら神道仏道を再流入させることができるか。ホトカミ的に言えば、どうすれば神社お寺が個人にとって身近なものになるか*3

僕は、神社お寺がファッションになればいいと思っています。

いや、あの、いかにも軽佻浮薄で付和雷同的なチャラチャラしたファッションのことを言っているのではなく、確固たる基軸があって、形而上的であり形而下的であり、いたって複雑で厚みのあるファッションです。そこには少数の真の熱狂者がいて、それに巻き込まれる多数の信者がいる*4。それを持っていると、または身につけていると内面的にも外面的にも心地よい気分になれる。そういうアイテムとしての神道、仏道*5

そういえば、編集者の箕輪厚介さんがこの前こんなことを言っていました。

落合さんの本のカバーって超カッコいいんだけど何も伝えてないからね。情報がないんだよ。ただカッコいい

でも俺それって大事だと思う。

それは何かっていうと落合陽一そのものなんだけど、落合陽一というものは完全に本物で誰よりも研究し、誰よりも教授なんだけども、ある種ファッションなんですよ、もう。

落合陽一の生き様がカッコいいとか、言ってることは意味がわからないけど耳触りがいいとか、それってファッションなんだけど、ファッションでしか世の中って変わんないんで。ダサかったら変わんないですよ。

NewsPicksをアップデートせよ


神社お寺好きって、まだちょっと「ダサい」と思われてる気がします。逆に、神社お寺好きが「ただカッコいい」になったとき、世界は違って見える。

「スタバでマック」よりも「お寺で坐禅」がカッコいい世界。
「来週フランス行ってきます」よりも「来週伊勢神宮行ってきます」がカッコいい世界。
「BRUTUS読んでます」よりも「月刊『大法輪』読んでます」がカッコいい世界。

……また、浅はかになってしまいましたが、個人的に思うのは神道も仏道も、世間のみなさんの多くが想像している以上に本物で、ガチで、濃厚で複雑で、洗練されていて美しい。それを布教したい、とまでは言わないけど、新しい見方を提案したい、リデザインしたい。

ホトカミなら実現できそうな気がしています。

 

できないかもしれません。

 

*1:「仏教」ってBuddhismの訳語らしいのですが、誤訳じゃないかと思うんですよね。松本紹圭さんも『Post-religionとこれからの日本仏教』の中で、「仏教」と「仏道」をあえて使い分けています。

*2:一般的に、伝統や祭礼の儀式は共同体のメンテナンスを目的として生まれ、受け継がれます。

*3:無論、IT化と個人の趣味嗜好の多様化が、相対的に神社お寺を縁遠いものにしているというのは理解した上で。

*4:太平洋を渡った禅がそんな感じだった。釈宗演や鈴木大拙、鈴木俊隆、オイゲン・へリゲル、スティーブ・ジョブズは本物だった。

*5:ただし、あくまでゆるやかに、じっくりと浸透させなければ意味はない。

Zazen - A Brief Pause to the Fast-moving Life

The slow and then fast flow of time,

The pain and then the relief of the body,

The heavy burden of reality and then the lightness of realization,

those conclude my first experience of Zazen - a traditional Buddhist meditation.

f:id:Kevin_Yang:20180709151924j:plain

In my short past 19 years of life, I always like to ask myself questions like "What do I want to do?", "Am I doing this right?", "What kind of person do I hope to become?". These questions become my guideline, motivating me through various choices and decisions. I consider them to be the same as looking for the traffic signals before crossing the street or reading through the instructions before operating a machine - I want to make sure the things I do is in align with my future goals. From there, every day I will become closer to that "ideal" self I hope to be.

However, I have never gone more in-depth than that. To me, justifying the motivations behind each action seems to be sufficient enough in self-progression for the long term. Similarly, for this Zazen, I also reasoned my participation with "experiencing Japanese religion culture", an undoubtedly perfect cause for trying out Zazen the first time.

Therefore, in a regular Saturday afternoon, I walked in 大龍寺, a traditional Japanese temple lying quietly on 夏目坂通, the birthplace of the famous writer Natsume Sōseki. After learning the basic procedures and manners of Zazen from the master, I started my first experience of Zazen.

f:id:Kevin_Yang:20180709151933j:plain
大龍寺の住職: 太田さん

The first fifteen minutes are, unsurprisingly, hard to endure. Absolute quietness is like an amplifier of all the noises and discomfort. I can clearly hear the sound of trucks driving on the street, feel the sweat running down the warm air of mid-July Tokyo, and sense the tiredness of a long day slowly creeping up in my head. The time seems to flow much slower. Every second, the burden of all the discomfort becomes heavier. 'Seems like this is never going to end.' I quietly told myself.

But apparently, the tiredness does not go on forever. Before I even consciously realize, I was already dragged into the flashbacks of the past. I am still sitting there. But instead of feeling all the discomfort, I become a quiet viewer of my memories. For a moment, I forgot to evaluate myself with the question of "What do I want to do?" but rather "Who am I?" For the very first time, I realized that I am not really familiar with myself. Instead of blindly following the "traffic rules" or "instructions" I used to believe in, I started to question the reason behind these rules and whether they are just non-existent boundaries set for myself. In the next thirty minutes, I got the precious experience of going back to the origin and looking back to the past to refine the definition of myself instead of hurrying forward to the future.

f:id:Kevin_Yang:20180709151916j:plain

The tiring slow flow of time is replaced by quick flashbacks. The pain of the body is replaced by relief. The heavy burden of reality is replaced by the lightness of realization. In the short thirty minutes, I become more aware of the definition of myself. To me, Zazen is an unforgettable experience of pressing a brief pause of the fast-moving life, looking back on all the roads walked, and, rather than blindly aiming for the future, understanding where I am standing right now.

ミネルバ大学からインターン生がやって来た!準備と作戦、生まれたもの

こんにちは。
神社お寺の投稿サイト「ホトカミ」を運営する株式会社DO THE SAMURAI代表の吉田 亮です。


6月から、世界で最も入りにくいと言われるミネルバ大学からのインターン生を受け入れています。
今回は、なぜ、海外からインターン生を受け入れたのか?
言葉が通じないなかで準備したこと、実際に生まれた仕事など紹介します。

海外からのインターン生の受け入れの参考になれば幸いです。

 

ミネルバ大学はとにかく最先端らしい

まずは今回の主人公、ケビンの紹介!

Kevin Yang / データサイエンティスト
1998年生 中国上海出身。アメリカ ミネルバ大学2年。スタンフォード大学での1年間のインターンシップを経て、データサイエンスと機械学習に強い関心を持つ。日本文学が大好き。お気に入りは川端康成。

http://dothesamurai.com/より

川端康成は、私が卒業した東大文学部日本文学の大先輩。


そしてミネルバ大学について。

入学希望者は、世界98ヶ国から1万12.8000人以上、合格率は名門ハーバード大学よりも厳しい2.8%。

2014年にシリコンバレーのベテラン起業家ベン・ネルソン氏と、ハーバード大学の元社会科学学部長であったスティーブ・コスリン教授が立ち上げた高等教育機関です(本社:サンフランシスコ)。

多国籍の学生が、実社会での活用を見据えたカリキュラムを脳科学に基づいた学習環境で履修し、複雑で変化の早い未来の社会をリードする次世代人材に必要な知識、思考力、コミュニケーション力の習得を、既存の大学より効果的、且つ適切なコストで実現する“高等教育を再創造した大学”として全世界から注目を浴びています。

ミネルバ大学はキャンパスを持たず、学生達は授業をすべてオンラインで受けながら、世界7か国で4年間を過ごします。

http://mistletoesummer2018.strikingly.com/より

簡単に言うと、世界で最先端な教育機関で、キャンパスも無くて新しい!ってことみたいです。(ざっくり)

ミネルバ大学について詳しく知りたい方は、以下の記事をお読みください。
ミネルバ大学創立者 ベン・ネルソン氏インタビュー 〜大学本来の学びを取り戻し、世界7都市に滞在しながら真のリーダーを育成する 〜 創設に秘めた熱い思いと独自のカリキュラムとは? — Future Edu Tokyo

世界で最も入りにくい大学、「ミネルヴァ」の3つの秘密 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

 

出会いは昨年の浅草ツアー

では、神社お寺の投稿サイト「ホトカミ」を運営するDO THE SAMURAIとこのミネルバ大学は何がきっかけで繋がったのかと言うと、昨年の浅草ツアーでした。

昨年はすでにホトカミの運営に勤しんでいたため、ツアーなどはやっていませんでした。
しかし、3年前からお世話になっている孫泰蔵さんのMistletoe(ミスルトウ)さんからの依頼ということもあり、かなり張り切って浅草を案内させて頂きました。

f:id:samurairyo:20180708110714j:plain
そのときのFacebookの投稿。

www.facebook.com

 そんなご縁で、昨年からミネルバ大学とは繋がりがありました。

f:id:samurairyo:20180708154426j:plain
(今年も案内させていただきました。)

では、なぜ海外からのインターン生を受け入れようと決めたのでしょうか?

なぜ日本語のみのサービスなのに、海外からのインターン生を受け入れたのか?

ホトカミ自体は日本語だけのサービスで、事業との親和性は特に無いのにも関わらず、
なぜ海外からのインターン生を受け入れようと決めたのか?

結論だけ言うと「ワクワクしたから」というのが最終的な決め手です。
明るい未来が待っていそうだな、と思いました。

しかし、採用の条件は、はじめから明確に決めておきました。

・日本文化に対して、強い関心がある
・いつか日本に住むことも意識している
・日本語を頑張って勉強する

そして、この条件にも合ったケビンと出会うことができました。


以下、この結論に至るまでの過程をもう少し詳しくまとめました。

・ミスルトウさんからの提案がきっかけ

そもそもは、上述のミスルトウさんからの、ミネルバ大学からのインターン生の受け入れ企業にならないか?という提案がきっかけでした。

しかし、正直いまのホトカミは完全に日本語のみだし、
半年以上続けることができる人しかインターンは採用しないという方針があるので、ミネルバ大学からの受け入れに対してはかなり消極的でした。
(実際に募集要項を提出したときも、日本語のみで提出しました。)

・みんなで良いこと・リスクについて話し合う

じゃあ来年だったら受け入れることができるのか?何が基準なのか?と考えたときに、
「まだ3期目なのに、新しいチャレンジに消極的なのは良くないなぁ。」という直感もあり、会社が3期目に入った日の全体会議で、
海外からのインターン生受け入れの良いこと・リスクについて話し合いました。

まとめると、以下のようになりました。

良いこと
1、神社やお寺、日本文化というものについて、外部からの新鮮な視点を得ることができるかもしれない。
私たちは、みんな神社お寺が好き、研究している、日本文化が好きなど、こだわりや想いを持って運営している分、視野が狭かったり、意見が偏っている面が間違いなくあります。
そのため、ケビンとのコミュニケーションを通じて、海外からの新鮮な視点を持つことが、将来のホトカミの可能性を広げることに繋がるかもしれない。

2、英語ができるようになるかも?
強制的に英語でコミュニケーションを取らざるを得ない状況にすることによって、英語ができるようになるかもしれない。(実際、そんなにできるようになっていません。笑)


リスク
1、コミュニケーションコスト
単純に、言葉が通じないことによって、コミュニケーションコストが大きくなり、仕事に支障があるのではないかという懸念がありました。

そもそも社内で普段話している日本語の語彙力は、かなりレベルが高いです。前提となっている日本文化の教養レベルもかなり高いです。
(ちょっとした会話のボケに神社やお寺、歴史上人物がよく出てきます。教養があるというより偏っているだけ、とも言えるかもしれませんが・・・)

2、仕事を生み出すことができるか?という懸念
コミュニケーションコストの話にも関連しますが、
意思疎通がうまくできなかった場合、そもそもちゃんと仕事ができるのか?という懸念がありました。

上記を踏まえてリスクを最小限にするために、
1、コミュニケーションコストに関しては「日本に来るまでに、日本語勉強してね!」って強く伝える、日本語の勉強を頑張ることを受け入れの条件としました。
さらに、デザイナーのルイさんは中国出身だし、困ったらルイさんに通訳してもらえば、なんとかなるだろう・・・ということにしました。(ルイさんの存在、大きい。)

2、仕事を生み出すことができるか?という懸念に関しては、
いまのホトカミに全く関連のない事業だとしても、私がたくさんコミュニケーションを取って一緒に考えれば、何かしら生み出せるだろう。最悪、他のメンバーには支障が無いように、私と2人で仕事すればいい、ということにしました。

というわけで、リスクを最小化した上で、
「ワクワクしたから」と言うのが最終的な決め手となり、

・日本文化に対して、強い関心がある
・いつか日本に住むことも意識している
・日本語を頑張って勉強する、という条件をもとに5名と面接した結果、ケビンと出会いました。

 

インターン受け入れまでの準備と作戦

ケビンの受け入れを決めてから、1ヶ月少し時間がありました。
その間に、準備をしました。

まずは「覚悟」が大事だと伝えました。

ケビンの仕事次第で、助けることができる神社やお寺が増えるかもしれないし、私たちへの負担が大きかったら、助けることができる神社お寺が減るかもしれない、と率直に伝えました。
(「覚悟」という漢字が共通言語なのは良かった。)


また、DO THE SAMURAIでは、インターンのはじめに毎回やることがあります。

インターンの仕事は、なんですか?という質問に対して、
「決まっていません。」と答えました。

その背景には、その人しかできない仕事をやってほしいという想いがあります。

例えば、記事を書くのひとつとっても、
その人にしか書けないような記事を書いてほしいです。
誰でも書ける記事は必要ないです。

そのためインターンの初日に、
・やりたいこと
・貢献できること
・できるようになりたいこと

を100個くらい書いてもらっています。

そして、そのなかから、なんとなく方向性を見出して、
仕事が生まれていきます。

人はなぜ働くのか?明治大学の「インターンシップ入門」で語ってきた! - DO THE SAMURAI BLOG より

上記と同じように、ビデオ電話でコミュニケーションを取りながら、インターン期間中に、
・やりたいこと
・貢献できること
・できるようになりたいことを考えてもらいました。
(この過程はほとんど英語でのコミュニケーションでしたが、2018年5月時点では、Google翻訳はあまり役に立ちませんでした。)

そしてこの準備のなかで、ケビンの仕事の4つの大きな方向性が見えました。
・ホトカミの開発
・ホトカミの数値やデータの分析
・海外の人から見た神社やお寺についての分析
(・英語や中国語への翻訳)

また、仲介役のミスルトウさんから、ミネルバ大学からのインターン受け入れを成功させるコツとして、
8週間のうち、はじめの2週間は仲良くなることに注力して、
残りの6週間でバリバリ仕事ができるように、というアドバイスを頂きました。

この準備とアドバイスのおかげで、ケビンと働き始めてから4週間が経ちましたが、今のところうまくいってる感触があります。

以下、現状をまとめます。

生み出された価値

1、数値の分析
今までDO THE SAMURAIにはホトカミの数値を詳しく分析できる人がいませんでした。(もちろん大雑把には把握していますが)
Google Analyticsも使いこなせていませんでした。

分析したい内容をケビンに伝え、実際に分析したり、分析方法のマニュアルをつくってもらいました。
そのおかげで、全員の分析能力が飛躍的にアップしました。
色んなデータを見るのが楽しいです。

データをもとにデザインを改善できるようになりました。

2、開発
日本全国の神社お寺の分布マップをつくってもらっています。
これ、かなり画期的です。
ホトカミのデータを研究などにも活かしてもらいたいという思いが強くあったので、その一歩目です。

f:id:samurairyo:20180709162441p:plain



お寺の場合、宗派ごとの分布を見ることができます。
神社の場合、まつられている神様の日本全国の分布を見ることができます。
このマップを見ながら、柳田國男と語り合いたかったです。

また、ホトカミ本体の開発にも後半戦ではがっつり関わってもらう予定です。

3、海外から見た神社お寺リサーチ
訪日外国人がどんな情報を求めているのか?調査してもらいました。

明治神宮や伏見稲荷大社、高野山などが人気ですね。
しかし、Web上には海外発のサイトが中心で、日本発で詳しい情報を掲載しているサイトがありませんでした。

4、困っている神社やお寺を助ける新たな1歩目
ホトカミの話をビジネスマンの方にすると「インバウンド(訪日外国人を増やす)をやったらうまくいきそうだねぇ」という返事が返ってくることがとても多いです。

しかし、そもそも海外の方に来てもらいたいと思っている神社やお寺は全体で見るとほんの一部でしかないです。
そもそも、まずは日本の人たちが神社やお寺に足を運ぶきっかけを作れるようにしよう!という想いを大切にしているので、
いわゆるインバウンドには、特に興味はありませんでした。

ただ!!!!!気付きました!!!!

「すでに海外からの観光客が増えているけど、どうしていいかわからない」という神社やお寺の話をよく聞くことに。

神社はただの観光地なんかではない、神聖な場所なのに、伝える手段を持っていないため、困っていると。

そういった神社やお寺を助けるための1歩目も準備中です。

ケビンと出会えて、良かった

先日、2人で埼玉の神社にもお参りしてきました。

そのときのことをブログにまとめてくれたのですが、ちゃんと本質を理解してくれていて、高まりました。
すでにケビンはほとんどの日本人よりも、神社やお寺について詳しく理解しています。

dothesamurai.hatenablog.com

昨日は、いつもお世話になっているお寺に座禅に行きました。

f:id:samurairyo:20180708153559j:plain

dothesamurai.hatenablog.com

↑ケビンの座禅の感想↑

お寺に行くときも神社に行くときも、ケビンとはよく恋バナもします。
楽しいです。(彼が日本に住むためには、とても重要なテーマです)


というわけで、後半の4週間でケビンとの仕事から何が生まれるのか、
とても楽しみです!



エンジニア、デザイナー、ライター、インターン募集しています。
お気軽にご連絡ください。

dothesamurai.com

 

dothesamurai.com

Shinto: A religion that blends into everyday life

Hello! I am Kevin who just joined DO THE SAMURAI as a data scientist intern this summer.

Grown up in Shanghai, I am currently a rising sophomore in Minerva Schools at KGI, an American college that will bring me to seven different cities in the world over four years. I am very grateful for becoming part of this fantastic team to explore ways of amplifying traditional religions' influence over an increasingly fast evolving society. At the same time, I also treasure this excellent opportunity to learn more about Japanese culture and religion.

As an atheist myself, I hold a relatively objective view of various religions in the world. One thing I always find among these mainstream religions is a strong identity they labeled on their believers. These identities later create insoluble conflicts between their believers, which largely shaped our current world. For instance, the suppression of Puritans from the Church of England led to the foundation of the United States, the spread of Buddhism ideologies in China greatly fortifies the power of its central government and the frequent war between the Middle East countries is also caused by the conflicting beliefs between Sunni and Shia.

f:id:Kevin_Yang:20180702180038j:plain

However, Japan seems to be a different story. As the indigenous religion of the country, Shinto has never gone into major conflict with other religions that entered in Japan. One famous line that describes people's belief in religion here goes by "Japanese visit a Shinto shrine to pray at New Year, celebrate a wedding at a Christian church, and finally hold a funeral at a Buddist temple." Instead of treating religion as a multiple choice question with only one answer, Japanese are more likely to accept all of them as the surface of their inner beliefs - the outer level may vary, but deeper down their values remain unchanged.

On June 27th, I luckily got the chance to visit 玉敷神社 in Saitama Prefecture. Walking down the Sando towards Honden, under these stone Tories, I found myself peacefully immersed into this Jinja. There's no strong incenses nor the need to repent. Everything is just quietly staying there, naturally blended into the small town. The process of Temizu, bowing before walking in the sacred place and following the manner of praying seems more like visiting a respectful old man's home rather than worshipping a powerful and frightening God.

f:id:Kevin_Yang:20180702182753j:plain

At that time, I realized that there's no clear boundary between following the ideology of Shinto and living the normal everyday life. Originated from the revere of nature, Shinto does not need a strong identity to separate the believers from the non-believers: nature is always there. Starting from the cherish of rice, Shinto has already blended into every aspect of Japanese lifestyle - cherish what you have now and be respectful to others.

「ホトカミ」デザイナーとしての三本柱

 
こんにちは、デザイナーのルイです。
ブログの下書きをいくつか溜まっていますが、なかなか発表できなかったです。
 
先日は都内で行われたデザイナーのイベントで「ホトカミ」のデザインについて発表しましたので、
デザインについての見返りとして書きたいと思います。(全然偉い話ではないです)
 
 
正直一年前「ホトカミ」の仕事を受けるときに「神社とお寺なら、和風でしょう」と、
和風の模様とか日本伝統色から考えはじめました。

f:id:chenruisysu:20180602124957p:plain

今ではネタになりますが、去年ほとんど毎週土曜日の会議で代表やエンジニアさんとめっちゃ喧嘩しました。
f:id:chenruisysu:20180602125041p:plain
「ユーザーは見づらいと言ってる」「この色は違うなあ」「こうじゃないなー」とめっちゃ言われて、
こっちも必死に自分のデザインを守って言い返します。
代表とエンジニアとの「戦い」の中、恥ずかしいことを気付きました。
 
「そもそも自分もザインということを知らない」という痛感!
 
 
 
そもそもなんで「ホトカミ」を始めるか冷静に考え直しました。
神社とお寺の情報を手に入れ、実際に足を運んでもらって、人と人、人と神社仏閣のリアルのつながりを増やすことです。デザインは目的ではなく、むしろデザイン以外のものデザインに重要ではないかと思います。
 
「新しい発見ができた」「毎日使いたい」「見やすい」と言えるようなデザインを意識し始めました。
 
一年間試行錯誤の中、デザインの3本柱が分かりました。
1.ユーザーの心理や行動を研究し続ける。
2.MAX とMINのデザイン案を出す。
3.小さいな工夫を重ねる。
 

1.ユーザーの心理や行動を研究し続ける。

「ユーザーの声をめっちゃ聞く」というホトカミの暗黙ルール。
ユーザーさんとの連絡を一番大切にしています。
 
今年から始めたオフ会には、ユーザーさんと直接接する機会も増えてきました。ユーザーさんはそれぞれの視点で意見を言ってくださって、とても良い刺激をうけました。
オフ会のきっかけで新しい企画が生まれるケースも。

f:id:chenruisysu:20180623133845p:plain

 
他にはお出かけ好き、社寺の好きな人とたくさん話しを聞くのを意識しています。
実際に人と接する機会が増えて、デザイン以外のものこそデザインではないかと気付きました。
 
「ホトカミ」のもっと先の未来を提案できるよう、ユーザーさんがまで気づいていない、普段根本的に人間の心理が分かった方が良いかなと、
最低限月1回ユーザー体験の勉強会に行ったり、人間行動や心理の本を読んだりします。
 
オススメの本:

f:id:chenruisysu:20180623133054p:plain

 
2.MAX とMINのデザイン案を出す
ホトカミでいつも「アジャイル!!」「出そう出そう!」「デプロイ大事」と言われています。
確かに、ウェーブサービス(ホトカミ)では、すぐ実装してユーザーの反応を見ながら改善するのが必要です。
 
作ったものが実装できなければ気持ちが落ち、開発にも迷惑をかけてしまいます。
しかし、デザインの価値は「未来に対する提案」だと思います。
ずっと現状に合わせると、サービスは前に進めなく、デザイナーとしてもモヤモヤでしょう。
 
 
この矛盾を解決するのはどうすればいいか??
 
デザイン会議、開発を重ねて、
MAX とMINのデザイン案を出すことになりました。
 
MINはいますぐ実装して出せる最小限のデザイン、ほとんど既存のコードを利用できるデザイン。
MAXは「こんな機能あればいいね」「ここまでこだわりましょう」と、もっと便利に使えるような最終形です。
 
例えば今年「お参り記録」のデザインを刷新するとき、いくつかのステップを分けてデザインしました。
f:id:chenruisysu:20180623122037p:plain
MAXはユーザー体験を完成するため最大のパーフォマンス。「こんなものあったらいいなあ」発想して作ってみます。
 
MINとMAXバージョンの間、ステップをいくつか分けて、「今回はここまで」「次はここまで」「最終的にはこれを作りたい」と、
エンジニアさんに伝えるのは良いでしょう。
 
MINとMAXのデザインをするために、
実装の知識を吸収するのが大事です。世の中で今の技術の限界社内の開発現状を知ることが必要ですね。
 
実際コードをかけなくでも、
せめてこの機能を追加するために、どんなデータが必要か、通信どうなるか、ロジックの追加が必要かどうかくらいは知っておくと、
デザインはスムーズに反映されますよね。
 
エンジニアとより一層仲良くなって、良いモチベーションのサイクルにも入れます。

 

 3.小さいな工夫を重ねる

プロダクトを触る人に「いいなあ」さえ思ってもらえないと、ユーザーとの接点が増えないと思います。
 
デザインでは「神は細部に宿る」という言葉があります。
人の心理を研究したら、技術のトレンドを把握したり、引いた目で物事を見みますが、細かいところで工夫をするのも大事です。
 
例えば、ホトカミの中では「文言を極める」のルールがあります。
「いいね」ではなく「素敵」ではなく、ひらがなの「すてき」
「写真を投稿」ではなく「写真投稿」

f:id:chenruisysu:20180623132329p:plain

個人的には、最近「全ての状態を考える」ことを意識しています。 

例えば神社とお寺のリストをデザインするときに、

  • 文言が長い場合は?(改行するか、字数制限するか、文字の数字によってフォントざいじを変えるか)
  • お寺の名前が長い場合は?
  • 投稿がない場合は?(投稿誘導の文言をどうするか?仮の画像を何にするか?)

とか色々状況を考えてそれぞれデザインします。直近ならコードに直接影響を与え、最終的にはやユーザー体験に左右しています。

f:id:chenruisysu:20180630012335p:plain

 

まとめると

「ホトカミ」でデザインをする三本柱はこんな感じです。↓

f:id:chenruisysu:20180630013424p:plain

 「デザイナーとして、デザイン以外のことこそデザインに大事」と、最近上司に言われました。

確かに、デザイナーは根本的に「思いやり」を持っている人にならないと良いデザインにもできないと思います。

 

仕事の中では、

・ユーザーに対する思いやり

・エンジニアに対する思いやり

を持つのがとても重要だと思います。

 

まだまだ経験不足ですが、少しデザインについて話しました。

今後も使いやすい、楽しく使えるサービスをデザインしていけたらと思います。

 

頑張るぞ!

 

 

 

 

 

プログラムは詩【コンピューターのエッセイ】

こんにちは。小沼です。

プログラミングをしていると、プログラムは詩だと気づきます。
プログラムは、詩と同じで、文字の組み合わせでできています。

プログラムを読むときは、書いた人の気持ちや性格を感じます。

プログラムを書くときは、読む人(これは数日後の自分だったりする)が、今の自分の気持ちをうっすらと感じてくれるだろうなーと思って書いてます。
ただ動く以上に良いコードを書こう。真心を込めて楽しみながら、プログラムを書きます。

もちろん同じ動作をするプログラムは、当然似たようなプログラムになります。
だけど、プログラムの中の並びや命名の微妙な違いとかが、書く人の詩的センスを表します。

詩のように楽しみながらコードを読み書きすることは、安らかな気持ちになれるだけではなく、実用的な意味もあります。

コードを眺めているとたまに、「あれなんかいつもと違うぞ」と直感的に感じます。
そういうコードは、実はどこからか写して、ちょっと書き換えただけで、動くけど書いた本人が、あんまり理解してないことが多いです。
このようなプログラムは、のちのちバグを生み出す原因になり、修正が大変になります。
なのでコードをレビューするときには、詩的な感覚を敏感にして「あれなんかいつもと違うぞ」と思ったら、その周りの部分を念入りに確認します。

それから、コードを眺めているときに、不安な感じがするときには、たいていバグが見つかります。
論理的な理解がなくとも、「あー、なんかやばい気がする」とぞわぞわしたら、きれいに書き直しておいた方がいいです。

ところで体育は、僕がずっと嫌いな科目だったんですが、大学で人生で唯一楽しいと思えた体育の授業がありました。
その授業の先生は、できないことを考えすぎたりせずに、「ただ楽しくやる」ことが大事だと教えてくれました。
ただ楽しくやることで、人間の体や脳は、無駄な力が抜けて最大限の能力を発揮することができる。
そうしてただ楽しくやってると、そのうちできるようになってくる。
ずっと体育が嫌で、どうしたらできないことができるようになるのか、悩んでた自分にとっては非常に助かる教えでした。

この「ただ楽しくやる」理論は、運動・スポーツだけではなく、プログラミングの世界にも通用することだと思います。
コードを読み書きするときには、プログラムの詩的世界に入り込み、ただ楽しむことが大事です。
論理的な部分以外からも、プログラムを感じ取りやすくなります。

僕は、プログラムの詩的世界に入り込める人は、プログラムのセンスがある人だと思います。
新しいシステムを使い始めるときには、そのシステムを眺めながら、プログラムの詩的世界に潜り込んで、その操作の仕方だけではなく言語化し難い、文化や雰囲気を理解する。
そうするとシステムを作った人の設計思想が腑に落ちて、親しみを持って使うことができます。

プログラムの詩的世界への入り方、感じ方、楽しみ方は、個性があって、それがコードに表れてくるのだと思います。
この個性は人としての雰囲気や人生観ともリンクしている。
それは文学的な詩が、作者の人間性と精神的状況とリンクしていると同じです。

それから、プログラマーの得意なシステムの傾向も、プログラムの詩的感性が関わっていそうです。
正確性に欠きますがプログラマーは、なんとなくの感じるその人の雰囲気と、その人の得意なシステムには、相関性があります。
そういう点ではベンチャーにベンチャーっぽいプログラマーばかり、大企業に大企業っぽいプログラマーばかりというのは、技術の偏りを生んでしまい、良いとこ、悪いとこありそうです。

初心者がプログラミングを書き始める障壁も、文学的に詩を書き始める障壁に似てます。
「何を書いたらいいのかわからない」
「なにが面白いのか理解できない」
という感じのものです。
この障壁の乗り越え方は人それぞれで、プログラミングの本を読んで勉強したり、その本の中のコードを書き写したり、突然インスピレーションが来るのを待ったり。
初心者がプログラムの詩的世界への入り口を見つけること、教える側がそこに導くことは難しいことだと思います。
僕もよく初心者からどのプログラミング言語がおすすめか聞かれるのですが、ひょっとしたら自分の好きな言語より、詩的世界の入口へ導くために、その人の内面的な雰囲気に合わせて、向いてそうな言語を答えるといいのかもしれないですね。

ここまでふわふわと、プログラムと詩について書いてきました。
自分の感覚をただ文字にしただけなので、読む人によっては、あんまり納得しがたい部分もあると思います。
それでも、プログラムに芸術的側面があることは、多くの人が指摘しています。
大間違いでもないでしょう。

「プログラムは詩」

もう少しプログラミングがうまくなったら、再考してみたいと思います。

人生で一番大事なことってなんだろう?『Q学作戦会議』に行ってみた

こんにちは。ホトカミ仏教担当の横井です。

 

6月も早いもので、もう終わりが近づいてきました。振り返れば梅雨時ということもあり、テンションとモチベーション低下との戦いだったような月でした。

 

いったい何のために仕事をしているんだろう?

これから自分はどうやって生きていくんだろう?

 

といった、将来への不安も持つような日もありました。

 

そんなある時、吉田さんから「今度『Q学作戦会議』というイベントがあるんだけど一緒に行かない?」とお誘いをいただきました。

 

最初は「まぁ吉田さんが話すみたいだし、写真撮っておこう」くらいのノリでしたが、実際に足を運んでみて、非常に多くのインスピレーションを受けました。

 

今回のブログは『Q学作戦会議』で感じたこと、参加してから思ったことについて書いていきたいと思います。

「意識高い系」ってなんだろう?

 

思い返せば、昔は「意識高い系」と呼ばれている人たちに対して、選ばれし者、よっぽどすごい人しかなれない、などといったイメージがありました。

そして、自分がそんな「意識高い系」の世界をのぞくことなんてまずないだろう・・・と思っていました。

 

しかし今では、大学での活動に加えDOTHESAMURAIでホトカミを一緒に作るなど、世間一般で言われるところの「意識高い系」な世界に片足つっこんだような人間になっていました。(笑)

 

結局のところ、「意識高い系」って何でしょうか?

 

私は、「志高い系」が「意識高い系」の正体だと思います。

世の中になかったものを増やしたい、自分にしかできないことで世の中を良くして生きたい。

そうやって、新たなものを生み出そうとしていくことがベンチャーだ、ということを働いていて思うようになりました。

 

f:id:bcm9922:20180628144015j:plain

 

『Q学作戦会議』でお話されていた方々や、参加者として来ていた学生のみなさんも、様々な志をもっておられました。

自分にしかできないことをやりたい!という気持ちにあふれた方々とのコミュニケーションによって、改めて自分自身の志は何だろう?と問い直すきっかけになりました。

 

働くということ

 

私はいま大学3年生、進路や就活のことを考えなくてはいけない時期になりました。

 

3年生になって思うことは、「人間、何のために働くんだろう」ということです。

生きるため?食べるため?さまざまな理由があるのではないでしょうか?

 

私はただ生きるために仕事をするのではなく、自分の好きなことで人を幸せにすることを仕事にしていこうと漠然と考えていました。

 

なので、給料のため、より良い生活を送るためにただ働くということに疑問を持ち続けていました。

「人間、生きるために仕事をしなきゃいけない」

というのは100%正しいわけではなく、

「人間、ほかの人を幸せにすることこそが仕事じゃないの?」

と思うものです。

 

f:id:bcm9922:20180628144234j:plain

 

『Q学作戦会議』の中で、「就職だけが進路じゃない」、「人間働くために生まれてきたわけではない」という言葉が心に残りました。

 

大多数の大学生が、生きるために働くということを選択する中、『Q学作戦会議』に参加していた学生は、それ以外の新しい進路を求め、熱心に話を聞いて、自分は何ができるんだろうということを考えていました。

そんな姿をみて、私にはなにができるんだろう?ということ考えなくてはならないと、刺激を受けることができました。

 

おわりに

 

6月を振り返ると、人生の方向性をどうするか?という悩みがわいてくるような月でした。

そんな悩みと向き合い、人生のテーマを決めれば、仕事や生き方なども決まってくるのではないか?と思いました。

 

『Q学作戦会議』に参加したことで、私も今後のことを考えてみようというきっかけを得ることができ、大変有意義な時間でした。

 

7月は、自分のことを考える時間を作り、自分の人生のテーマを考えてみます!