こんにちは、ホトカミ仏教担当の横井です。
現在、四国お遍路の記事をアップに向けて編集中ですが、その際調べていて見つけた「発心」(ほっしん)という言葉について書いていきたいと思います。
お遍路では四国を一周しますが、そのスタートがある徳島県、阿波の国は「発心の道場」と呼ばれています。
「発心」とは、何かをはじめようとすることを指す言葉ですが、「発菩提心」(ほつぼだいしん)、すなわち仏教でいう悟りを得ようと志すという意味もあります。「発菩提心」を略して「発心」ということですね。
発心する瞬間がこれから続けられるかどうかの要
何事も最初から完璧にできる人はいないでしょう。ですが、うまくいかないとなかなかモチベーションも上がらずやめてしまう人も多いのではないでしょうか?
モチベーションが上がらないということは続かない、続けたくないということです。
私も三日坊主な人間なので、ちょっとやっていろんなことをすぐやめてしまいました。
たとえば、ギターを手に取ればFコードが鳴らせずやめ、イラストをやり始めたら身体や手が描けずにやめ・・・
ほかにもいろいろちょっとやってはモチベーションが続かずに辞めてしまいました。
似たような経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
ではなぜ、すぐやめてしまうのでしょう。
それは、「発心」、すなわちなぜやるのかという理由の部分が弱いから。
なぜやりたいのか、なんでやりたいのかというところがはっきりしていないからモチベーションを維持できずにやめてしまうのです。
逆に、なぜそれをやるのか、という理由があれば、途中うまくいかなくても続けることができるはずです。そして、継続した結果うまくいくのではないでしょうか?
肝心なのはスタートの切り方、物事をはじめるときにそれをやりたいという、はっきりとした理由を持っているかどうかです。
なかなか新しいことをはじめられずに悩んでいる方も多いと思います。焦らなくても、時間をかけて、じっくり考えたっていいんです。
お釈迦様だって出家するときに、自分の立場や家族の存在で出家するかどうか悩みました。
それでも世の中の苦しみを見て、その苦しみから離れる方法を探したいと志して出家を選択したのです。
お釈迦様でさえ、新しいことをはじめるときに悩むのですから、われわれ凡夫が悩むのもある意味当然ですよね。
おわりに
ということで、今回は発心についてでした。発心する、新しいことを始めようとするときには迷いや悩みがあるかもしれません。
『華厳経』というお経に、「初めて発心するとき、すなわち正覚を成ず」という言葉があります。
直訳すれば「最初に発心したその瞬間に悟りを得る」という意味ですが、はじめにしっかりやるぞ!と意識することが大切であり、最初がぶれているといつまでたってもゴールが見えないんだぞ、という戒めでしょう。
迷ってもいい、悩んでもいいんです。その時間はすばらしいスタートを切るための準備期間と考えてみてはいかがでしょうか?