ホトカミをつくるDO THE SAMURAIのブログ

みんなでつくる神社・お寺の投稿サイト「ホトカミ」を運営している、株式会社DO THE SAMURAIのブログです。

「一般人の僕が神社お寺の事業を始めた理由」と「僕の生きる道」

こんにちは。

月間100万人が使う神社お寺の検索サイト「ホトカミ」を運営する株式会社DO THE SAMURAI代表取締役の吉田 亮です。

現在、学生インターンを募集しています。

【大学生インターン募集】日本文化や神社お寺好きな学生さん、一緒にホトカミを作りませんか?


さて、本題。

平成最後の日である平成31年4月30日に、
平成を生きた証を言葉に残し、令和をつくる礎としようと思い、筆を取りました。

この記事では、
「なぜ、ホトカミを始めたんですか?」
「神社やお寺に興味があるのですか?」という質問に答えました。

そして、平成へのはなむけの言葉として、「僕の生きる道」というポエムを最後に添えました。

新しい時代をつくっていく人々が何かを始める参考になれば、幸いです。

 

自己紹介

まずは、簡単な自己紹介。

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僕は、滋賀県彦根市の彦根城のふもとで生まれ、岐阜県多治見市で育ちました。
小中高と野球部でした。
(「美濃のクルーン」と呼ばれていた時期も)

幼い頃からSMAPが大好きで、7歳の頃から20年間ファンクラブに入っていました。オタクです。

同時に、幼い頃から日本文化や歴史も好きでした。
(クラスに1人は、すごく歴史好きな子いましたよね)

小6の頃、NHK大河ドラマ「利家とまつ」を見て以来、僕の歴史好きは加速しました。

1年浪人しましたが、大好きな前田家の屋敷跡にキャンパスがある東京大学に入学すると同時に、上京。
理系科目が得意だったので東京大学理科2類に入学したのですが、やっぱり好きな日本文学などを学びたいと、3年生から文学部日本語日本文学専修課程に進学し、卒業しました。

モーニング娘。をはじめとするハロー!プロジェクトが大好きです。
推しは、小田さくらさん、野村みなみさん、、、歌がうまいメンバーを推しがちです。
でも一番好きなのは、つんく♂さんです。
つんく♂さんの人間を尊び、平和を願い、地球も宇宙も包み込むような愛ある音楽が大好きです。

自己紹介はこれくらいにして、本題に入りましょう。


参拝者と神社お寺でつくるお参りの記録共有サイト「ホトカミ」とは?


突然ですが、

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コンビニと、神社お寺、どっちの方が多いと思いますか?









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実は、コンビニよりも、神社お寺の方が約3倍近くも多いです。
(だいたい神社もお寺も8万ずつ)


しかし!
20年後、

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20年後、そのうちの6万の神社お寺が消滅すると言われています。

これはまさに現在進行形で起こっていることで、
神社お寺の消滅とともに、そのまちや先祖代々の文化や歴史が失われてしまいます


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原因のひとつは、江戸時代から続く「家」単位での収入が減っていること。
(お寺だと檀家制度、神社だと氏子制度などという。)


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現在、必要とされているのは、
「個人」と神社お寺の新しいつながりです。



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しかし、スマホでも見れるようなホームページで情報を発信しているのは、全体のわずか1,5%程度。

「検索しても見つからない・・・」
そして、見つかったとしても、「漢文を書き下したような難しい文章が並んでいて、よく分からない・・・」という問題があります。

そこで、簡単にいうと参拝者の「神社お寺を見つけることができない」という課題と、神社お寺側の「参拝者を増やしたいけど、どうしよう?」という課題を解決するために、
参拝者と神社お寺でつくるお参りの記録共有サイト「ホトカミ」を運営しています。

3年前2016年の夏から準備を始め、2017年4月に公開しました。

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※令和2年2月20日現在、
・月間ユーザー数120万人
・6万1000件以上のお参りの記録が投稿

・掲載寺社数は、14万5000件と世界最大
・初詣シーズンの1月は420万ページビュー超

ちなみに、日本では、およそ1300年前(奈良時代)から150年前(明治維新頃)までは神仏習合といい、神社とお寺がゆるやかに共存していました。
名前の由来は仏(ホトケ)さまと神(カミ)さまで、「ホトカミ」です。
(近代化の過程で失われた、昔からの祈りのあり方を時代に合わせてつくっていきたいという想いを込めています。その話はまたの機会に!)

また日本には、不登校、格差、麻薬中毒、孤独死、伝統の継承、少子化、自殺など様々な社会課題があります。
その根本的な原因のひとつは人と人との繋がりの希薄化によるものと言われています。

しかし、日本では少なくとも1300年以上、神社やお寺が人々の繋がりを育む役割を担ってきました。
ホトカミをきっかけに、神社お寺と人々に新たな繋がりが生み出していきたいです。



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神社お寺の方向けの完全無料の公式アカウントという制度もあり、
少しずつですが、神社お寺の方からの情報発信も増えています。

なかには、ホトカミでの情報発信を通じて、参拝者がゼロから100人以上増えた神社もあります。
※令和2年2月現在、月間の参拝者がホトカミ経由で1500組を超える神社も現れました。

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参拝者は、境内のポスターのQRコードを読み取ることで、簡単にその神社やお寺の由来やお知らせを知ることができたり、お参りの記録を投稿することもできます。

オンライン上のホトカミだけではなく、実際に足を運んでお参りする方のためのサポートをしようと頑張っています。

(↓神社寺院向け公式アカウントについて詳しくはコチラ↓)

hotokami.jp


ただ、現状ではビジネスモデルは存在せず、
日本で初めてとなる見返りを一切求められないソーシャルエンジェル出資という資金の調達方法で、8888万8888円の資本金があるため、そのお金で運営しています。

「僕が事業を絶対に辞めないという信頼」「長期的にやり続けることに意味がある事業である」「社会的に価値がある」などという観点から、この出資を受けることができたのだろうと僕は思います。

以下の記事にも詳しくあります。

上場よりも「ミッション」重視 ソーシャルエンジェル投資とは? | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

「背景と想い」日本初「ソーシャルエンジェル出資」で約1億円の資金調達を実施に関して(代表) - DO THE SAMURAI BLOG



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ホトカミの他にも、訪日外国人向けの多言語のお参りガイド制作なども行っています。
多言語お参りガイドの導入方法などの詳細


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会社としては、4年目に入ったところです。

2019年の4月から初めて新入社員が入社しました。
(上の写真は神社で入社式のご祈祷をうけたときの様子)


ここまで、現状のホトカミや会社について紹介しました。


では、なぜ一般人の僕がホトカミを始めたのでしょうか?
ここからは9年前、二十歳まで僕の人生を遡ります。

一般人の僕が神社お寺の事業を始めた理由

 

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二十歳の僕は、何をしていたかというと・・・・





 

 

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二十歳の頃の僕は、「夢は武道館でライブ!」と、
プロのミュージシャン目指して、音楽活動に明け暮れていました。

7歳のとき、ナゴヤドームでSMAPのコンサートを見て以来、いつかコンサートしたい!と思い描き、
歌手になって、ミュージシャンになるんだ!と中学の頃、ギターを手に取り、ROCKし続ける日々を送っていました。
作詞作曲編曲やりながらボーカルをやっていました。
(右の写真は、上京した頃。岐阜っ子の僕は、舐められないようにと肩甲骨まで髪を伸ばして上京しました。)

しかし、上京してからの3年間、音楽活動はうまくいきませんでした・・・

そこで、諦める僕じゃありません。

退路を断つため、大学4年目に休学して、音楽活動に専念することにしました。

休学3ヶ月目の2013年6月には、渋谷La.mamaというミスチル、イエモン、スピッツなども輩出した老舗ライブハウスでライブもしました。


しかし、そのライブの後・・・・・・

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曲が作れなくなりました・・・

「自分は何が歌いたいんだろう?」
「なんのために歌うんだろう?」なにも分からなくなってしまい、
曲が作れなくなってしまいました。

休学するにあたり、70万近くの借金もしました。

家庭教師や治験などのバイトを掛け持ちすることで、夏には返済も完了しましたが、
「自分は何がしたいんだろう?」「どう生きていけばいいんだ?」と、
ただ時間だけが有り余る日々を過ごしていました。

そんなに友達もいなかったので、
毎日、読書と散歩の日々を送っていました。



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ある日、大好きな幕末の本を読みながら古地図を頼りに散歩をしていると、

士(サムライ)の心と書いて、志(こころざし)と読む。
夢は自分のためだけのものだけど、
「志とは、世のため人のために何かを為すことだ!」と書かれていました。

当時23歳の僕は、この言葉と出会い、衝撃を受けました。

今まで23年間、武道館でライブをやりたいという自分だけの夢しか追いかけてこなかったので、
世のため人のために生きるなんて考えたこともなかったのです。

志という言葉との出会いをきっかけに、
自分のことしか考えてこなかったなと、それまでの人生を深く反省しました。

じゃあ、僕は世のため人のために何を為すべきだろうか?と考える日々が始まりました。
毎日、読書と散歩を繰り返しながら、自分はなんのために生きようか?と考え続けました。

3ヶ月ほど考え続けたなかでやっと方向性がかたまりました。

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僕の志とは、
『(幼い頃から大好きな)文化や歴史を現代に生かし、未来に受け継いでいこう!』ということです。


志は、定まりました。

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では、志の定まった23歳の僕は、
日本文化や歴史を伝えるために、まず何を始めたでしょうか?






志は決まった!


最初の一歩目のスタートは、何から始めたでしょうか?









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とりあえず、武士ソングを作りました。

MCでおもてなし文化の由来を語った後に、おもてなしに由来するオリジナル武士ソングをパフォーマンスするなど、歴史や文化と音楽の融合を試みました。

踊念仏の時宗のお坊さんに念仏踊りなどの由来を聞きながら、
現代風盆踊り「かたじけなっしんぐ!」という曲も作りました。

曲調は、EDMに和楽器を入れながら歌う、今でも斬新なアレンジでした。
Twitterのトレンド入りしたこともありました。

www.youtube.com


続けるうちに、武士ソングの話題が広まり、講演などで色んなところに呼んでいただけるようになりました。
(オリジナル武士ソングの需要は特に無かったのですが、MCでの歴史や文化の話がウケた。)

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「松陰神社ツアー」「侘び寂びの寂びについて学ぶ」「新渡戸稲造の武士道を学び、御墓参りするお寺での行事」「秋葉原の由来」「泣かぬなら鳴くまで待とうホトトギス、家康は何を待ったのか?」「古事記に親しんでみよう」・・・と、色んな話をしていました。

個人事業主としては、死なない程度に食べていけるようになりました。

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さらに、2016年4月には、個人事業の延長で法人化し、
株式会社DO THE SAMURAIを設立しました。

法人化した理由のひとつに、
「自分と同じように、文化や歴史が好きな人が働ける会社をつくりたい!」という想いがありました。

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しかし、2016年7月には、これまでの仕事をすべて辞めてしまいました

好きなことで、世のために役立ちながら、お金ももらい、
一緒に働く仲間にお金を払えるようにまでなったにも関わらず、

「このままでいいのだろうか?」
「もっと何かできることがあるのではないか?」とずっとモヤモヤしていました。

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このままではいけない!と思い、
退路を断つために、すべての仕事を辞めて、
3ヶ月間、ひたすら事業を考えることにしました。

事業を考えるというよりは、
「自分はなんのために生きるのか?」
「幸せってなんだろう?」
「人生をかけてでもやり遂げたいことがなんだろう?」
「僕の使命はなんだろう?」と3ヶ月引きこもって考え続けました。


以下、「なぜ、ホトカミを始めたのか?」「どうやって事業を見つけ、決めたのか?」という質問に答えるべく、僕がホトカミを一生かける事業と決めるまでの思考プロセスの一部を紹介します。
思考プロセスというと賢そうですが、実際は文字通り頭を抱えながら、悩みに悩み、不安になり、迷い、暗中模索と絶望とたまに希望の繰り返しな日々を送っていました。


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以下、当時からお世話になっているピクスタの古俣さんに教えていただいた
「一生かける事業の見つけ方」を僕なりのアレンジで紹介します。
参考:人生を賭けられる事業の見つけ方 - ピクスタ代表 古俣大介のブログ


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まずは、「続けるのが大事!」って多くの人が言っています。

そして、どんなに大変だったり、辛くても続けていくためには、
「好き」だったり、自分の興味関心があることがテーマであった方が良いです。

その観点でいうと、僕は日本文化や歴史が大好きであること、
「文化や歴史を現代に生かし、未来に受け継いでいきたい!」という志が確固たるものであったので、左半分はすでに決まっていました。


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それに対して、右半分の「役に立つ」。
言い換えると、「世のため人のためになっているか」という視点がとても大切です。

当時の僕の場合は、この視点が圧倒的に足りませんでした。

個人事業主時代は、歴史のなかでも一番好きな「サムライを切り口に」やっていたのですが、
150年前に、「サムライは全員、いなくなっていました。」

つまり、困っている人は特にいないので、そんなに役に立つこともできなかったので、
個人事業主の域を越えることが難しかったです。

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そこで僕は、
「好き」「人の役に立つ」事業アイデアを300個以上、ひたすらに考え続けました。

人は人生の選択肢を考えるとき、1時間で思いつくレベルの10個程度の事業のなかから、どれにしようか?と考え、選びがちです。

しかし、1時間程度で思いついた事業だと、人生をかけてまでやり切るのは難しいです。(もちろんうまくいくこともありますが)

もしかしたら、「他の事業の方が良かったかも?」と迷ってしまうことがあり得るからです。

だから、僕は事業をひたすらに書き続けました。
以下が実際に考えたアイデアを書き出したものです。

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寺ログという、ホトカミの原型となるようなアイデアは、
3つ目には思いついていました。

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こんな調子で2ヶ月近く、目に見えるものをひたすら自分の事業アイデアに置き換えて、書き出す日々を送っていました。

たくさん考え続けたのですが、困ったことがありました。
考えれば考えるほど、分からなくなってしまいました。


 

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300個も事業を考えたのはいいものの、
「どの事業を人生かけて取り組むのか?」分からなくなってしまったのです。

もちろん、これは思いついたけど、やらないだろうなという事業もたくさんありました。

しかし、どれにしようか?決めないとお金もどんどん無くなってしまうのに、
先が見えない日々が続きました。

そんなある日、事件は起こりました。

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2016年8月14日、SMAPの解散が発表されました。

僕が岐阜から上京したのは、間違いなくSMAPがいたからです。

「東京タワーで昔、見かけた土産物に張り付いてた言葉は『努力』と『根性』」
SMAPの言葉を胸に生きてきました。

しかし当時26歳の僕は、
「もう自分も大人なんだし、SMAP解散しても辛くない。それよりも事業を考えなきゃ。」と先の見えない日々を過ごしていました。

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夏も終わりがけ、8月終盤のある日、
友達のお坊さんが、うちのお寺に遊びにおいでよと誘ってくれました。

考えても事業は見つからないし、行こうか・・・と新幹線に乗って彼のお寺に向かいました。

一泊二日、何もしない時間をお寺で過ごさせていただきました。

お寺でゆっくりとした時間を過ごさせてもらったおかげで、
「SMAPの解散、とても辛かったんだな」と気づきました。

そして、このお寺での時間のおかげで、これまでの個人での仕事や、SMAP×SMAPに出たいという私欲などもすべて手放して、生きていこうと思えました。
(物心ついた頃から精神の支柱としていた存在がいなくなるのは、本当に辛かった)

自分自身と向き合い、また前を向いて東京で頑張って生きていこうと思いながら、
新幹線で東京へ戻る途中、お世話になった友達のお坊さんから、
「グーグルのレビューにお参りの思い出書いてくれたら嬉しい」とメッセもらいました。

あぁ、なんでも書くよ!という気持ちでグーグルにレビューを書きながら僕は思いました。

「なんで、僕は助けてもらったお寺での尊い時間について、★★★★★とかつけて評価しなきゃいけないんだ。神社やお寺専用の思い出を書く場所があるべきなんじゃないか」と。

「そういえば、寺ログ・神ログみたいなものは、神社ツアーやお寺でのイベントやっていたときから、欲しいと思ってたな。
 僕は一般人だから、お坊さんや神主さんが寺ログ神ログみたいなのつくってくれたらいいなって思ってたけど、お坊さんや神主さんは、宗派の違いとか、上下関係とか色々あって、なかなか宗派や神社お寺も一緒に新しいことやるのは難しいらしい。」

「というか、僕が案内する神社ツアーやお寺でのイベントに人が集まるくらい一般の人々が神社お寺を求めている実感あるし、僕も一般人だから参拝者の気持ちがわかる。
 同時に、檀家さんが減っていき参拝者も増えないのなか、実家のお寺を継ごうか迷っているなど、お坊さんや神主さん側の知人からも今まで色々話を聞いてきた。」

「そもそも、僕が個人で神社やお寺を案内することには限界を感じていたけど、
 お参りした人が投稿して、それを見た人がまたお参りして、
 さらに神社お寺が情報を発信できる場所をつくれば、僕が紹介しなくても、みんなが神社お寺に行けるじゃん!」

「日本において文化や歴史がもっとも濃い場所は神社お寺だ!僕がいろんな話するよりも、みんな神社お寺いけばいいじゃん!」

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「参拝者の気持ちにも、神社お寺側の気持ちにも共感しながら、
 ゼロからサービスを立ち上げて起業するだけの体力も、人との繋がりもある僕がやるしかない!」

「お参りの記録を投稿することで、結果として神社お寺が元気になっていくような仕組みが作れたら、100年後の人々の為にもなる。」


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退路を断って300個事業を考えるも、決めれず迷い続けるなか、SMAPの解散があり、
その辛さから救ってもらったお寺での時間があったおかげで、
これまでやってきたことが繋がり、使命感的な何かが生まれ、

ホトカミに人生をかけよう!と決めることができました。

その後、2年半以上経ちますが、一度も迷ったことはなく、
毎日、ホトカミを育てることに邁進しています。
(持続可能なビジネスモデルはなんだろう?神社やお寺のため、つまり人々のためにはどんな仕組みがいいんだろうか?ということは、毎日考え続けています。)


僕の生きる道

平成の最後、平成31年4月30日時点での「僕の生きる道」についてポエムを残してこの記事を終えます。

今考えていることは、令和にきっとアップデートされ続けるでしょう。
※以下、科学的に、学術的に正しいかというよりは、あくまでもそういう価値観を表したポエムなんだな、中二病が加速してるんだなって思って、お読みいただければ幸いです。僕もよく分かりません。



この文章を読んでいるあなたは、きっと人です。



では、人は、なんのために生きているのでしょう?
人に生きる意味はあるのでしょうか?



僕は、草木に生きる意味がないのと同じように、そもそも人が生きる意味もないと考えます。


人に生きる意味があるとすれば、草木と同じ程度の生きる意味しか持っていません。

人だけが特別な生きる意味があると考えるのは、人間中心的な考え方だと思います。

 


しかし、少なくとも人間は、生きる意味を問うこと、生きる意味を探すことはできます。

 
人類全体の生きる意味を考えてみましたが、実感がなく分かりませんでした。



じゃあ、僕の生きる意味はなんだろう?
人類全体は大きすぎて分からないけど、僕個人はなんのために生きているのだろう?と考えました。


 

色々考えているうちに、気づきました。



僕のモチベーション、つまり生きる意味の源泉は、ノブレスオブリージュ。

僕は幼い頃から、家族にも友達にも恵まれ、学問にも勤しみ、音楽など芸術にも触れ合い、意思を持って生きてくることができた。

間違いなく、人類史上最も恵まれているうちの1人。

人類5000年の歴史のなかで、平成という戦争もしない国で生まれ育ったことも、
長い人類史でみても、本当に恵まれている。



そんな恵まれる境遇に生きているからこそ、
世に貢献せねばという想いが僕の生きるモチベーションの根源にある。


 

では、どう貢献したらいいんだろう?
21世紀は、どんな時代をつくっていけばいいんだろう?



考えてみたけど、テーマが大きすぎて、よく分からない。


僕は塾や講演などで、
迷ったときは、先人や歴史から学び、より良い未来をつくっていこうと話してきた。

今こそ自分も先人に学ぶときだと、過去の書物からヒントを探りました。

すると論語に、「今を生きる人は、先人がやろうとしたけど、できなかったことをやるべきだ(超訳)」と書いてありました。

確かにな。

先人が成し遂げることができなかった志を未来の人々が受け継ぎ、人類は発展し、
その恩恵を自分は預かっている。

 


では、先人がやろうとしたけど、できなかったことって、なんだ?

 


さらに、過去の人たちが何を思いながら死んでいったんだろう?と書物に当たると、

最近話題の渋沢栄一も、武士道でノブレスオブリージュを唱えた新渡戸稲造も、多くの先人たちは、人類の共存を願い、でも戦争を止めることができず、失意のうちに亡くなっていった。



じゃあ、人類の共存が生きる目的なんだろうか?

でも、人類だけが特別なのは不自然だという感覚が僕の中に流れている。


なぜなら、人類も地球に生きる生命の一部に過ぎないからだ。


人類だけ特別、人類の共存というのは何か違う。

 



というときに、山川草木国土悉皆成仏(さんせんそうもくこくどしっかいじょうぶつ)という仏教の言葉を思い出す。



自然と共に生きるというより、人間も自然の一部として生きる。



人間が特別な存在ではなく、人間も地球の自然の一部というイメージの方が、
自然の猛威に畏れ多く思いながら、自然の恵みに感謝する日本古来からの価値観とも合う。 




じゃあ、その山川草木国土悉皆成仏をどう実現するか?

 



というときに、国際政治のソフトパワーという考え方を知る。

ハードパワー(軍事力や経済力)ではなく、ソフトパワー(文化や人の魅力)で、信頼を得ていくという考え方。


 

確かに、国ではなく、人単位でみたとき、
金持ちでケンカが強い人(ハードパワー)が信頼されるよりも、
文化的で性格良い人(ソフトパワー)が信頼された方が良いというのは、直感的には納得いく部分がある。
国民国家もあくまでも個人の集合体にすぎない。(もちろん現実は甘くないんだけど、あくまでも理想論として)


 

じゃあ、文化や人の魅力(ソフトパワー)を高めることに貢献しよう。

 

会社のビジョン
「文化や人の魅力を高め、地球の和に貢献する。」

 



じゃあ、実際に自分は何ができるだろう?って考えたとき、

 

天台宗の開祖、最澄「一隅を照らす者、これ、国の宝なり」

内村鑑三「高尚なる生涯」という言葉を思い出す。




誰にでも、一隅、その人にしか気づけないもの、縁がある。

一隅を照らそうと生きた人生は、高尚なる生涯となる。

お金や事業など、何も残せなかったとしても、
自分なりの一隅と向き合い、生きた人生は高尚なる生涯となり、
生き様を残すことができると内村鑑三は言う。

生き様を残すことは、ロボットやAIにはできない、
21世紀の人類がやるべき使命のひとつ。

 


じゃあ、生き様を残すための自分にとっての、
一隅とはなんだろう?自分が照らすべきものはなんだろう?って考えたとき、

たまたま文化や歴史が好きで、神社ツアーやお寺でイベントをやっていた僕だからこそ、参拝者の気持ちにも、神社お寺の人の気持ちにも共感することができた。

これは僕にとっての一隅だ。みんなが起業すればいいという話では決してなく、出会いや縁を大切にすることこそが、一隅を照らすことだと思う。

そして、神社お寺には、目に見えない文化がたくさん残っている。

科学が発達して便利になればなるほど、幸せになれると信じて人々が生きてきた平成という時代。

しかし、幸せは言語化することも数値化することもできない、目に見えない。
幸せとは、感じるもの。

そのヒントが神社やお寺にはたくさんある。

令和という時代、一隅を照らそうと生きていきます。


株式会社DO THE SAMURAI
代表取締役 吉田 亮

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