ホトカミをつくるDO THE SAMURAIのブログ

みんなでつくる神社・お寺の投稿サイト「ホトカミ」を運営している、株式会社DO THE SAMURAIのブログです。

60万ページあるウェブアプリを支える技術

こんにちは。IT神職(ウェブエンジニア)の菊地です。

先日ホトカミがリニューアルしました。

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トップページのデザインは主に僕が作りました
ホトカミはもともとPHPというプログラミング言語で書かれていましたが、今回は日本発のプログラミング言語「Ruby」で作りました。

そもそもなぜリニューアルしたのかというと

  • 今年の4月にサーバーを自由度の高いものに移行出来たので、開発効率の高い言語に移行したかった
  • 管理を重視せず、よくわからなくなってしまったコードが増えてきてしまったので、一度書き換えて整理をしたかった

というのが主な理由です。

実際の開発は5月から書き換え作業が始まり、結果として紆余曲折を経て今月(12月)までの長丁場となりました。システムリプレースの難しさを身を以て実感した約半年間でした。

結果として、ページの読み込みスピードが爆速になったり、わかりやすく綺麗なデザインになったりと、ユーザーさんにとって長期的なメリットを生み出すシステム作りをすることが出来たと思います。

僕は今回のリニューアルで主にサーバーサイド(データをユーザーさんから受け取って保存したり、整形して綺麗にウェブサイトとして表示する前のデータを自動で作るサーバーシステムのこと)を担当し、概ねアプリにあるRubyのコードの7~8割を書いたことになります。

その傍ら目に見えるWebデザインの部分も担当し、トップページをはじめだいたい3割以上のHTML/CSS(Webブラウザがこれを読んで実際のデザインを表示する)のコードも書きました。

デザインからシステムまで、幅広い部分をカタチにしていく作業は非常に楽しくやりがいがあります。

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実際の開発画面(ぼかしを入れています)

と言いつつも、僕は実際に稼働していて、かつPV数もそれなりにあるウェブアプリを0からプログラムしたのは初めての経験でした。

しかもこのアプリには14万件の神社お寺とそれに付随する情報のページ、そして地域等のカテゴリーリスト、ユーザーさんの投稿を合わせ約60万にも及ぶページが存在しており、ここまでの規模のサイトはおそらく日本に数%も無いでしょう。60万ページ全てをエラーなく完璧に動かすのは非常に大変です。

そう考えると、エンジニアとしてもかなり貴重な体験が出来たと感じています。

今回のホトカミには、今できる限りの最新の技術を投入したつもりです。突き詰めればキリがない世界ですが、とにかくサイトの基礎性能が以前よりも確実に上がるように工夫しました。

「神社お寺」と「最新技術」は一見かけ離れたもののように思えます。だからこそ、新しい技術を取り入れる余地が無数に存在していると、今回のリニューアルを通して実感しました。

これからも常に新しい技術を意識し、神社お寺界を盛り上げていけたらなと考えています。

余談ですが、新年2019年の三が日は埼玉県の「金鑚神社」で神職として奉仕をさせていただいておりますので、お近くの方は是非お立ち寄りください。

hotokami.jp

それでは、良いお年をお迎えください!


神社お寺の投稿サイト「ホトカミ」を作る株式会社DO THE SAMURAIでは、エンジニアを絶賛募集中です!

特にフロントエンドを作れるそこの貴方、いつでもお待ちしております。

dothesamurai.hatenablog.com

一緒に神社お寺の未来を創りましょう!

今日のDO THE SAMURAI

 

こんにちは。ホトカミ神道担当の森です。

色々と忙しく、久しぶりのブログ更新となってしまいました…

 

DOTHESAMURAIでお仕事をするようになり、今日でちょうど一年が経ちました。(おめでとう自分🎉)

 

働き出した当初のブログは今読むと、なんだかむず痒くて変な気持ちになります。

dothesamurai.hatenablog.com

 

働き出した当初や、熱海合宿へ行った時とは自分も周りの環境も変化しているので、今日のDO THE SAMURAIについてゆるく書いてみようと思います。

 

今このブログを書いている場所は、オフィスの一角です。

 

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ちなみに、今小沼さんは美味しそうなコンビニスイーツを食べています。

 

また最近は、代表の吉田さんが全国に飛び回っているので、オフィスにはいつもお土産があります。

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これは村上さんからの献上物です

 

あと、お昼ご飯はバーガーキングが何故か流行っています。

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 今日は菊地さんが行ったみたいです。

 

今日は、ちょうど以前書いた熱海合宿のブログから増えた方たちが揃っているので、みなさんについて書いてみます!

 

菊地さん

もともと大学のサークルの先輩で、ホトカミの存在を教えてくれて吉田さんと繋げてくれたのは、菊地さんのおかげです。

今年の4月から一緒に働きだして、半年しか経っていないのにものすごい量の仕事をこなしています。(すごい)

大学の先輩なので、いまだに菊地先輩と呼んでしまいます…

 

佐藤さん

みんな快くんとか快さんとか呼んでます。

公式アカウントのデザインとか対応とかしてます。

私も実家の神社の公式アカウントを作っていただいているので、どんどん進化している公式ページにいつも感動しています。

ふわっとした印象ですが、読んでる本とコメントの癖が強いです。

もう11月で寒いのに、素足にサンダルを履いています。

 

小谷さん

実は今日初めましてしました!

できる女性のオーラを感じます。(本当薄っぺらいことしか書けませんすみません…)

ホトカミでは経理や、ユーザー対応をしてくださっています。

領収書などが、小谷さんが働いてくださったおかげで、以前よりしっかり管理されていてありがたいなあと感じます。

 

重久さん

重久さんも今日初めましてでした!

インタビュー記事の文章が、物語のように流れが綺麗でとても感動しました。

今お隣で、HTMLのお勉強をしていて、去年の自分が頭によぎります…

重久さんは、歴史がお好きらしく、お土産に家紋クッキーをいただきました。

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可児才蔵と生駒親正の家紋です(他の家紋のクッキーは食べちゃいました。)

 

以上が新しい方々です!

 

今日もみなさん自分の仕事をしっかりしながら、たわいもない会話で溢れています。

 

これからもみなさんよろしくお願いします!

 

お読みいただき、ありがとうございました!

 

 

 

 

ウェブの文化

こんにちは。Sequence and Abstraction Artistの小沼です。

私は、ウェブという業界で働いていますが最近になって少しウェブの文化というものがわかり始めた気がします。
ウェブというのは、インターネットの仕組みを組み合わせて作る物事のことです。
もともと大学でコンピューターというものをやっていましたが、ウェブと大学でやってたコンピューターはかなり異なる性質があります。
今のウェブ技術には、かなり便利な仕組みがすでにあり、それらをうまく使うことによって素早くシステムを作ります。
逆に大学でやってたコンピューターは、今まで作られてきた物事の中身の仕組みを理解するということに重点が置かれており、既存の技術を再検討することに時間をかけます。

ウェブなら生産性を高くスピード感がありますが、その一方で軽くなってしまう面があります。

この両方の性質を、バランスよく活用するために、日ごろの勉強と仕事でのスピード感の切り替えが大事なのだと思います。

発心したが吉日 物事のはじめかた ~仏教担当のプチ法話~

こんにちは、ホトカミ仏教担当の横井です。

現在、四国お遍路の記事をアップに向けて編集中ですが、その際調べていて見つけた「発心」(ほっしん)という言葉について書いていきたいと思います。

 

お遍路では四国を一周しますが、そのスタートがある徳島県、阿波の国は「発心の道場」と呼ばれています。

 

「発心」とは、何かをはじめようとすることを指す言葉ですが、「発菩提心」(ほつぼだいしん)、すなわち仏教でいう悟りを得ようと志すという意味もあります。「発菩提心」を略して「発心」ということですね。

 

発心する瞬間がこれから続けられるかどうかの要

何事も最初から完璧にできる人はいないでしょう。ですが、うまくいかないとなかなかモチベーションも上がらずやめてしまう人も多いのではないでしょうか?

モチベーションが上がらないということは続かない、続けたくないということです。

 

私も三日坊主な人間なので、ちょっとやっていろんなことをすぐやめてしまいました。

たとえば、ギターを手に取ればFコードが鳴らせずやめ、イラストをやり始めたら身体や手が描けずにやめ・・・

ほかにもいろいろちょっとやってはモチベーションが続かずに辞めてしまいました。

似たような経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

ではなぜ、すぐやめてしまうのでしょう。

それは、「発心」、すなわちなぜやるのかという理由の部分が弱いから。

なぜやりたいのか、なんでやりたいのかというところがはっきりしていないからモチベーションを維持できずにやめてしまうのです。

 

逆に、なぜそれをやるのか、という理由があれば、途中うまくいかなくても続けることができるはずです。そして、継続した結果うまくいくのではないでしょうか?

 

肝心なのはスタートの切り方、物事をはじめるときにそれをやりたいという、はっきりとした理由を持っているかどうかです。

 

なかなか新しいことをはじめられずに悩んでいる方も多いと思います。焦らなくても、時間をかけて、じっくり考えたっていいんです。

 

お釈迦様だって出家するときに、自分の立場や家族の存在で出家するかどうか悩みました。

それでも世の中の苦しみを見て、その苦しみから離れる方法を探したいと志して出家を選択したのです。

お釈迦様でさえ、新しいことをはじめるときに悩むのですから、われわれ凡夫が悩むのもある意味当然ですよね。

おわりに

ということで、今回は発心についてでした。発心する、新しいことを始めようとするときには迷いや悩みがあるかもしれません。

 

『華厳経』というお経に、「初めて発心するとき、すなわち正覚を成ず」という言葉があります。

直訳すれば「最初に発心したその瞬間に悟りを得る」という意味ですが、はじめにしっかりやるぞ!と意識することが大切であり、最初がぶれているといつまでたってもゴールが見えないんだぞ、という戒めでしょう。

 

迷ってもいい、悩んでもいいんです。その時間はすばらしいスタートを切るための準備期間と考えてみてはいかがでしょうか?

 

ゆっくりと本を読む

役職名について

こんにちは。 Sequence & Abstraction Artistの小沼です。

Sequence & Abstraction Artistというのは最近できた名刺に書いてある役職名です。 やってる仕事内容的には、インフラよりのソフトウェアエンジニアですが、コンピュータに関することより広い意味を取りたくこのような役職名にしました。

Sequenceというのは、おおよそ「一連の流れ」という意味で、Abstractionというのは「抽象化」という意味です。

どちらもコンピュータ用語でもありますが、コンピュータの分野を超えて、この2つについて考えていこうと思っています。

論語についての本を一冊読み終えました

僕が論語について興味を持ったのは、新渡戸稲造が著作の中で紹介している詩によってです。

皆人の詣る社に神はなし

  こゝろの中に神ぞまします

新渡戸稲造 自由の真髄

昔陽明学者の歌として引用されています。まだ原著に遭遇できてませんが、調べる限り中江藤樹か熊沢蕃山のものでありそうです。 この詩に数年前に出会ってから、少しずつ儒教の本も読んでいます。

昨日、300ページほどの論語についての文庫本を1ヶ月から2ヶ月ほどかけて読み終えました。

コンピュータの技術書であれば、一日二日で読めてしまうのですが、論語などの思想の本は読むのにゆっくり時間をかけて読むようにしています。

一気に読むのではなく、コツコツと少しずつ読むことでより自分に馴染んでいくような気がするからです。

最新技術をまとめた技術書と違い知識を詰め込んでいくのではなく、古典的な本や思想の本は感じ取っていくのが好きです。

Do The Samuraiは人文系に強い?

会社の中で唯一、純粋な理系大学に通っている僕も技術書を読むかたわら論語を読んだりしてるくらいDo The Samuraiは本を読む人が多い会社です。

僕と同じようにプログラミングができる菊地くんは大学では神職になるための勉強をしているし、デザイナーのRuiさんも語学が堪能で哲学書を読んでいます。

そもそもソフトウェアの分野というのは、テクノロジーの権化でありながら、人間についての問題や文芸的な問題が、ソフトウェアを作るときも使うときも、常に最重要な課題の一つになっています。

ITと文化の両輪でうまくバランスをとって、会社として社会に貢献していきたいです。

毎日お世話になっている「自分」をいたわろう ~ココロとカラダの健康塾に参加してきました!~

こんにちは、ホトカミ仏教担当の横井です。

先日9月8日、豊島区にある金剛院において行われた「ココロとカラダの健康塾」に参加して思ったことを書こうと思います!このイベントは、仏教と医療の両面から健康を考え、人々を健康にすることで社会貢献を目指す「ヘルシーテンプル構想」の第一歩として開催されたイベントです。

仕事や日常生活で当たり前のように使っている「自分」について、改めて考えてみる機会になりました。

ココロの健康とカラダの健康は車輪の両軸である

健全なる精神は健全なる体に宿るという言葉があります。私はその逆も然りなのでは?と思いました。

どちらか一方が欠けても健康であるとはいえません。WHOは、健康の定義を「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいう」としています。

つまり、心と体の両方を健康にしていくことが真の健康への道、というわけです。

意識の力ってすごいという話

頭の中で思ったり、考えたりすることは体にそんなに作用することはないと思ってしまいがちです。

ですが、心で思うことはカラダにものすごく影響を及ぼすそうです。

海外の実験で、膝関節症の患者相手に、本当の手術をして治療する人と、ただ切ってなにもせずそのまま縫合するだけ、という実験した結果、どちらも治ったという報告があったそうです。

つまり、思い込みの力は原因がわからない病気も治してしまう力があるらしいということです。

実のところ本当にそうなの?ということは医学を修めていない私にはよくわかりませんが、意識の力で人が不健康になっていくということはあると思います。

悪い意識が心のなかに残ってしまうと、それにより体にさまざまな悪い影響を及ぼしてしまいます。

さらに、本当は何もないのに心が悪い刺激を放つようになってしまうと、いわゆる鬱の状態になってしまいます。

そうならないためにも、心の状態を観察し、整えることが体のためにも必要なことだと思いました。

また、今の自分を否定せず、ありのままに受け入れてあげることも必要であると思いました。

「自分」をいたわるってすごく当たり前なのにおろそかにしがちなんだろう

24時間365日、お迎えが来るまで絶えず付き合い続ける「自分」という存在。そんな大切なものをいたわることを、どうしても忘れがちになってしまうという人は多いのではないでしょうか。

暴飲暴食、運動や睡眠不足、荒れた心をそのままにしてしまう・・・

私は思いつく限りの不摂生を続けてきてしまったので、決して健康とは言えなくなってしまいました(笑)

これがまだ笑いごとで済めばいいのですが、笑えなくなってしまったときのことを考えると、健康を意識して生活することがいかに大切なことか、すぐにわかるはずです。

今回、ココロとカラダの健康塾に参加して、改めて健康について考え直し、自分と向き合うきっかけを得ることができました。

みなさまも、どうぞ「自分」を大切にしてあげてください。

 

 

仏教を人に伝えるということ

こんにちは、ホトカミ仏教担当の横井です。

さまざまな仏教的な活動を今まで経験してきましたが、仏教を人に伝えるとはいったいどういうことなんでしょうか?

一言に伝えるといっても、仏教の何を伝えるのか、また、仏教をどうやって伝えるのか?という疑問があります。

今回は、その疑問について思ったことを書いていきたいです。

 

仏教の「何」を伝えるか?

仏教は広い教えです。数多くのお経があり、それだけ多くの教えもあります。また、日本には多くの仏教の宗派があり、それぞれ仏になるという目標は同じでも、いつ仏になるのか、どうやってなるのかなどは考えかたが違ったりします。

また、仏教を通した体験や、修行もさまざまで、ただ単に「仏教」というだけでは広すぎて何も伝えられないと思います。

そこで、どんなことを一番に伝えたいか?ということをピックアップしなくてはなりません。仏教を人に伝えるとき、よく考えなくてはいけない点がこの「何」の部分です。

 

私の中で伝える内容を考えるときのポリシーが、

  1. 仏教の教えをしっかり保ち、間違ったことを言っていないかどうか
  2. だれも悲しい思いをしないかどうか
  3. 伝えた人の人生に豊かさをもたらすかどうか

という点です。このことを考えながら記事なども執筆しています。

このポリシーを守り、仏教の中でも何を伝えたいかをピックアップするのが一番難しく、また記事を書いていてやりがいと感じるところです。

仏教の伝え方の今後

さて、ホトカミでは記事を通してみなさんに仏教を広めておりますが、個人的には実際に話をしたり、催し物を企画、もしくは参加するなどして仏教を広める活動をしています。活動を重ねれば重ねるほど、新たな発見があります。

では、今後どのように仏教は広まっていくのでしょうか?最近では新たな形で仏教を広めようと、様々な方が努力しておられます。大変すばらしいことです。

仏教はその時代に合わせて広まり方も変化していきました。現代においてもそれは変わらないと思います。

 

私の思いとしては、私と同じくらいの年代の若い人にも仏教を知ってほしいです。そのためには、今ある仏教のかたちはそのままに、若い人でも入りやすい新しいかたちを提供することが必要でしょう。しかし、「大衆受けすることばかりすれば、仏教の品格を落としてしまう」という声もあります。もちろん、いままでの仏教者が築いてきたものを汚すことがあってはなりません。

 

新しいかたちが受け入れられるにはどうすればいいのでしょうか?

それはやはり今まであったものを否定せず、リスペクトすることが大切なのではないでしょうか。

以前お話を聞いた来宮神社の雨宮宮司も、「変えてはいけない部分を大切にしていれば、神社でも新しいことに取り組む可能性はたくさんある」とおっしゃっていましたが、お寺でも同じだと思います。

hotokami.jp

 

最も大事で変えてはいけない部分をしっかり見定めることができれば、どんどん新しいことをやっていいと思います。今までのお坊さんも、きっと新しいことを始めるときには悩んだはずです。その悩んだ時間だけ、大きなものが生み出せるのではないでしょうか。

 おわりに

ちょっと大層なことを書いてしまいましたが、今後の仏教の発展は仏教に携わる人、一人ひとりが悩み、考えていくことにかかっていると思います。

人やお寺など、それぞれに立場や環境、置かれている現状があり、それに対して一人ひとりが向き合っていくことが大切なのではないでしょうか。

乱文ではありますが、新しいことを始めようとする人に読んでいただいていたら幸いです。